日本の「陶磁器」とは?陶器との違い、日本六古窯などわかりやすく紹介

伝統と職人技が融合した、美しさと実用性を兼ね備えた日本の陶磁器。日本では「焼き物(やきもの)」とも呼ばれ、各地にはさまざまな産地が点在しています。当記事では、そんな「焼物」の歴史や産地ごとの特徴、楽しみ方などをご紹介。美しい日本の陶磁器の奥深さを味わってみませんか?
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日本の「陶磁器」とは ?陶器との違いを簡単に紹介

陶磁器は、土や石を主原料として成形し、高温で焼き固めたもので、土の種類や硬度、吸水性、透光性などの違いから土器、陶器、炻器(せっき)、磁器に分けられます。
陶器はガラス質をいくらか含む土で成形し、釉薬を施して約800~900度から1200度で焼き上げた焼物で、透光性がなく吸水性があるのが特徴です。
磁器はガラス質を多く含む磁土を使い、陶器より高温の約1300度で焼成するため陶器より硬く、透光性があり吸水性がありません。そして、陶器と磁器の中間的な特徴をもつのが炻器(せっき)です。そんな陶磁器は、長い歴史のなかで食器や茶器、壷などの日用品から装飾品など幅広い用途で重宝され、地域ごとに特色ある技法や意匠が発展してきました。
日本の「陶磁器」の歴史

日本の陶磁器の歴史は、1万年以上前の縄文土器から始まります。紀元前2世紀~紀元後3世紀には弥生土器、古墳中期(5世紀初頭)には大陸から伝来した技術によって須恵器(すえき)が登場し、高温焼成が可能になりました。
平安時代には天然の草木灰を使用した灰釉陶器が発展。安土・桃山時代には茶の湯文化の影響により、瀬戸(愛知県)や美濃地方(岐阜県)で志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部などの陶器、京都では楽焼が生まれました。

江戸時代には、有田(佐賀県)で陶石が発見されたことで、日本で磁器の製作がスタート。さらに色絵磁器が生産されはじめヨーロッパでの人気が高まると、大量に輸出されるようになります。
18世紀には、それまで有田地方でしか作られていなかった磁器が京都、九谷、砥部、瀬戸などでも作られるようになり、多彩な焼き物文化が広がっていきました。
日本六古窯(にほんろっこよう)とは?有名な焼き物の産地
六古窯とは、中世から現在まで陶磁器を生産し続けている、日本を代表する6つの産地の総称です。
瀬戸焼(愛知県)

瀬戸焼は、愛知県瀬戸市を中心とする地域で生産される陶磁器の総称です。そのひとつ「赤津焼」は、奈良時代(700年頃)に生産されていた須恵器が平安時代(815年頃) の灰釉陶器へと発展し、築き上げられた陶磁器。7種の釉薬と12種の装飾技法により、渋く繊細な模様や自然の色合いが調和する品格ある美しさが魅力です。
一方、江戸時代(19世紀中頃)に確立した「瀬戸染付焼」は、透明感ある白い素地に呉須という藍色の絵具で自然を描いた絵付が特徴。九州で磁器の技術を身に着けた陶工(職人)により普及されたのが始まりです。なお、日本では陶磁器全般を「せともの 」とも呼びますが、その「せと」はこの地域「瀬戸」を指しています。
越前焼(福井県)


越前焼は、福井県丹生郡(にゅうぐん)越前町周辺で作られている茶褐色の炻器です。釉薬を使用せず、高温で焼く際に薪の灰がかかり、溶けて流れ落ちる自然釉が生む素朴な風合いが魅力のひとつ。
起源は平安時代末期(約850年前)で、初期の作品は常滑焼の影響を受けていましたが、しだいに現在のような越前焼の特徴へ変化していきました。丈夫で水を通さないため、主に壺や甕(かめ)、酒器、茶器などが作られてきましたが、近代には一時衰退。1970年代の越前陶芸村の建設後に復興を果たし、現在は伝統技法を生かした新しい作品が生み出されています。
常滑焼(愛知県)

平安時代後期に誕生した、愛知県常滑市周辺で作られている常滑焼。鉄分を多く含む陶土を使用し、赤く発色させる朱泥(しゅでい)により、独特の艶のある朱色に仕上がるのが特徴です。
代表的な製品がお茶を注ぐ朱泥急須(しゅでいきゅうす)。ただし、朱泥急須や茶の湯、生け花用の器などが作られるようになったのは江戸時代以降で、それまでは瓶や壼、甕(かめ)など大型の貯蔵具が作られていました。
明治時代や大正時代にはその頑丈さから、土管や建物用のタイルなど、建築陶器としての需要も増加。今でも洗面台や浴槽から日用品まで、さまざまなシーンで使われています。
備前焼(岡山県)

岡山県備前市周辺で作られている備前焼。釉薬を使わない製法により、素朴で趣深い風合いに仕上がるのが特徴です。また模様付けもしないため、薪の灰と炎が生み出す窯変により、一点ごとに異なる自然の芸術が楽しめます。そんな備前焼は、須恵器の製法をもとに発展し、平安時代にはすでに作られていたといわれています。
その素朴な風合いは、安土桃山時代に茶道を極めた千利休をはじめ多くの茶人に愛されました。今でもその伝統は受け継がれ、何人もの人間国宝が輩出されています。
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信楽焼(滋賀県)

信楽焼は滋賀県甲賀市信楽町周辺で作られている陶磁器です。奈良時代(742年頃)に造営された紫香楽宮 (しがらきのみや)に使用した瓦焼きが始まりとされています。
そんな信楽焼の魅力のひとつが、薪の灰が付いて溶ける自然釉や火の影響で生じる赤いまだら模様などの窯変(※)により生み出される素朴な風合い。燃え尽きた薪の灰により「灰かぶり」とも「焦げ」ともいわれる黒褐色の発色もわびさびの美を感じさせます。現代では縁起物としての「たぬきの置物 」も有名です。
※窯変 :陶土や炎の性質により、予期しない色や文様が生じること
丹波立杭焼 (兵庫県)
兵庫県篠山市今田周辺で作られる丹波立杭焼(たんばくいちやき)。主な特徴が、焼成する際、薪の灰と陶土に含まれる鉄分や釉薬が溶け合うことによって生じる「灰被り」と呼ばれる独特な色や文様です。
始まりは平安時代末期。当初は紐状にした粘土を積み重ねてつないでいく「紐作り」により、釉薬を使用しない大型の壷や甕などが作られていました。江戸時代初期には「蹴りろくろ(※)」や釉薬を使用するようになり、江戸時代中期には茶入、水指、茶碗などが作られるように。その伝統は現代にも受け継がれ、一つとして同じもののない素朴で美しい製品が楽しめます。
※蹴りろくろ :足で蹴ることで回転させるろくろ。「けろくろ」ともいう。ろくろとは、回転させることで陶磁器を成形する道具。
日本三大焼き物(日本三大陶磁器)とは?
日本六古窯の瀬戸焼、日本最古の磁器を生み出した伊万里・有田焼、美濃焼を加えた焼物を日本三大焼き物といいます。
伊万里・有田焼(佐賀県)


日本で初めて磁器が作られた佐賀県の有田周辺で生産されている伊万里・有田焼。16世紀末、朝鮮出兵で連れ帰った陶工により、佐賀県有田の泉山で磁器原料の陶石が発見されたのが始まりです。
当時は、有田で焼かれた磁器が伊万里港から積み出されたため「伊万里焼」とも呼ばれていました。今は有田で焼かれたものは有田焼、伊万里で焼かれたものは伊万里焼と区別されています。

有田焼の特徴は、薄くなめらかな手触りと耐久性。そして、透明感のある白磁の美しさと青一色や色鮮やかな上絵などの配色。主な様式に古伊万里、柿右衛門、鍋島などがあり、現在も日本を代表する磁器として世界中で愛されています。
美濃焼(岐阜県)

美濃焼は、岐阜県東濃地方を中心に生産される陶磁器で、起源は5世紀にさかのぼります。室町時代以降、茶の湯文化と結びついて「志野(しの)」「織部(おりべ)」「黄瀬戸(きぜと)」「瀬戸黒(せとぐろ)」などの名品が誕生しました。
そんな美濃焼には統一された様式はなく、経産大臣指定の伝統工芸品だけでも15品目。そのなかでも代表的なものが緑色に色づく釉薬「緑釉」の深い色合いと歪みのある形などが魅力の「織部(おりべ)」。現在では、こうした名品のほか、日用品やタイルなども生産し、国内有数の生産量を誇っています。
「陶磁器」の楽しみ方。イベント、お祭り、博物館など
陶磁器が展示されている美術館・博物館で鑑賞する

陶磁器には、購入して実際に使うだけでなくさまざまな楽しみ方があります。そのひとつが、美術館や資料館などで鑑賞すること。日本には陶磁器を展示している美術館がたくさんあるので、気になる陶磁器を展示する美術館で鑑賞してはいかがでしょう。佐賀県の「チャイナ・オン・ザ・パーク」には、焼き物の博物館があります。
陶磁器にまつわる名所やイベントを訪れる


陶磁器の産地を訪れると、意外なところで陶磁器にまつわるスポットに巡り合えます。備前焼が盛んな岡山県備前市の天津神社では、備前焼で作られた狛犬や絵馬などに触れられます。
また、愛知県瀬戸市では、ひな祭りのシーズンになると、陶磁器のひな人形が飾られます。
日本三大陶器祭りで買い物をする

陶磁器の各産地では、毎年「陶器祭り」などのイベントが開催されます。なかでもおすすめは、日本三大焼き物の各産地で開催される、「土岐美濃焼まつり」「せともの祭」「有田陶器市」。これらは、「日本三大陶器祭り」と呼ばれ、イベント時には多くの陶磁器ファンでにぎわいます。
窯元や専門店で買い物をする

陶器祭りでも買い物はできますが、各産地や日本の都市部には陶磁器を扱う専門店もたくさんあります。陶磁器の専門店が軒を連ねる世界最大規模の有田焼ショッピングリゾート「アリタセラ」などが代表です。日常使いできる手ごろなものから陶磁器作家が作った1点ものの高額な陶磁器まで並べられているので、お気に入りの陶磁器を選んではいかがでしょう。