広島県原爆ドーム&平和記念公園&広島平和記念資料館:「NO MORE HIROSHIMA」と訴える世界文化遺産

第二次世界大戦の末期である1945年8月6日に、人類史上初めての原子爆弾が広島県広島市に投下された。核兵器による火球の中心温度は摂氏100万度を超え、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度に達した。広島市街の建物は一瞬にして倒壊し、同年12月末までに約14万人が死亡したと推定されている。

世界の恒久平和を願い、爆心地に近い広島市中区に平和記念公園は建設された。世界遺産に登録されている原爆ドーム、原爆投下当時の広島の様子を展示する広島平和記念資料館を中心に、後世に被爆の惨状を伝えている。

世界平和への願いを込めて作られた、平和記念公園

平和記念公園がある広島市中区は、江戸時代から昭和初期に至るまで市庁舎、県庁舎が位置する広島市の中心的な繁華街だった。被爆後、1949年8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、1955年に平和記念公園が完成した。設計は建築家・丹下健三とほか3名が担当した。

写真提供:広島県

面積122,100平方メートルに及ぶ平和記念公園は2007年に名勝指定され、世界文化遺産に登録されている原爆ドーム、重要文化財である広島平和記念資料館や、原爆死没者慰霊碑を含める多くの慰霊碑・記念碑が設置されている。

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

写真提供:広島県 

園内には合計35基のモニュメントや慰霊碑が設置されている。原爆で亡くなった方の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められている原爆死没者慰霊碑には、「原爆犠牲者の霊を雨露から守りたい」という想いから、屋根は埴輪の家型をしている。慰霊碑正面から屋根の中を覗き込むと、遠く真正面に原爆ドームが見えるようになっている。碑の前面には、「安らかに眠って下さい、過ちはくり返しませぬから」との平和への願いが刻み込まれている。

なお、「原爆死没者慰霊碑」 は一般の方も献花やお祈りをするために献花台まで進む事ができる。

原爆死没者慰霊碑を囲むのが、公園の中心地にある 「平和の池」 だ。水を求めて助けを求めながら亡くなっていった原爆犠牲者の魂を慰めるために造らた池は慰霊碑が浮かび上がるように設計されており、毎年8月6日にはここで平和記念式典が開催され、午前8時15分には黙祷が捧げられる。

原爆の子の像

写真提供:広島県

わずか2歳で被爆した佐々木禎子さんの死をきっかけに、同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑を作ろう」と全国に呼びかけた結果、全国3,200校余りの生徒とイギリスをはじめ、世界9か国からの募金によって建てられた「原爆の子の像(別名『千羽鶴の塔』)」。今でも日本のみならず、世界各国から年間で約1千万羽の折り鶴が捧げされている。

平和の鐘

写真提供:広島県 

宇宙を表現しているドーム型の鐘楼。鐘の表面には「世界は一つ」を象徴する国境のない世界地図が浮き彫りにされており、人類が初めて原爆被害に遭った時刻(午前8時15分)になると平和への願いを込めた鐘の音が園内に鳴り響く。この鐘の音は、環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれている。

核兵器による惨状を伝える世界で唯一の建造物、原爆ドーム

明治後期の広島は、伝統工業・近代工業が発達したため、軍需品の製品開発、販路拡大が求められていた。その拠点となる原爆ドームの元の建物は、1915年4月広島県物産陳列館として竣工。当時の広島の都心部は木造2階建ての建築がほとんどで、博物館、美術館としての役割を担っていたヨーロッパ風の建築デザインの物産陳列館は非常に珍しかったため、広島名所の一つに数えられた。

1945年8月6日、原子爆弾が投下され、爆心地から至近距離で被爆を受けた建物本体は全壊したが、本屋の中心部は奇跡的に倒壊を免れた。爆心地に近い建物では数少ない被爆建造物として残り、戦後はむき出しになった鉄骨から、「原爆ドーム」と呼ばれるようになった。

原爆ドームは1996年にユネスコの世界文化遺産に登録され、今や広島県の観光名所として定着しているが、当時は記念物として残すか、被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すかという存廃論議が繰り広げられていた。

原爆ドームは、1953年に広島県から広島市に譲与され、ほぼ被爆後の原形のまま保存されていたが、小規模な崩壊・落下が続いて危険な状態となった。1966年7月、広島市議会が原爆ドームの保存を要望する決議を行い、募金運動を開始。さらに1996年に永久保存が決まり、これまでに3度の保存工事が行われた。

平和記念公園・原爆ドーム

  • 住所:広島県広島市中区中島町1及び大手町1-10
  • 開園時間:常時
  • 休園日:無休
  • アクセス:広島電鉄「アストラムライン本通駅」より徒歩約5分

「NO MORE HIROSHIMA」を後世構成に訴え続ける、広島平和記念資料館

広島平和記念資料館は、広島市中区平和記念公園の敷地内にある原爆関係の資料を展示している博物館で、広島原爆の惨状を後世に伝えるため1955年に開館。本館は2006年7月5日、戦後建築物として初めて国の重要文化財に指定された。平和記念公園と同じように、建物は丹下健三が設計し、国際的に高い評価を受けている。

写真提供:広島県
写真提供:広島県

館内では東側の「東館」と西側の「本館」が渡り廊下でつながっている。東館では、広島に原爆が投下された経緯などを「導入展示」、「核兵器の危険性」、「広島の歩み」の3つの展示ゾーンを通して紹介するほか、企画展示や新着資料展などを行っている。一方、本館では被爆者の遺品や被爆の惨状を写真と資料で展示し、1945年8月6日に広島での出来事を入場者に伝える。

写真提供:広島県
写真提供:広島県

内部には2万点以上の被爆災害資料が展示されており、中には被爆者証言ビデオコーナーや原爆で亡くなった方々の遺品も。「NO MORE HIROSHIMA」を掲げ、今後も「原爆投下による広島の悲劇を二度と繰り返すな」と訴え続けていく。

広島平和記念資料館

住所:広島県広島市中区中島町1-2

  • 開館時間:
    3月~ 7月/08:30~18:00
    8月 /08:30~19:00(8月5日、6日は20:00まで)
    9月~11月/08:30~18:00
    12月~2月/08:30~17:00
  • 休館日:
    12月30日~12月31日 ※ただし、情報資料室は12月29日から1月1日まで閉室
  • 展示入替期間/ 2月(中旬から3日間)
  • 料金:大人(大学生以上) 200円、高校生 100円、中学生以下無料
  • アクセス:JR広島駅より広島バス24号(吉島)線「吉島営業所」または「吉島病院」行に乗り、「平和記念公園」下車すぐ

ホームページ:https://hpmmuseum.jp

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