【日本文化】皆と一緒にお風呂に入る、日本の「銭湯」を知ろう!

日本人がお風呂好きなことはよく知られているが、家庭用風呂が普及する前は、体を洗うために、銭湯という場所に行かなければならなかった。今でも多くの人が毎日銭湯に行き、大きな浴槽で熱いお風呂を楽しんでいる。今回は日本の伝統の「銭湯文化」を紹介します。

日本の入浴文化

日本の入浴文化は、飛鳥時代の6世紀に始まったと言われています。

当時の寺院には僧侶が体を清めるための風呂があり、その風呂を一般の人々にも開放したことが、始まりとされています。つまり、入浴は宗教上の習慣から生まれた文化なのです。

その後、「湯治」が登場。江戸時代には温泉の治癒効果が信じられて、湯治が盛んになりました。

銭湯とは

銭湯は公衆浴場のことです。お金(銭)を払って湯に入ることから「銭湯」と呼ばれています。 最古の銭湯は、平安時代の京都や奈良にあったのではないかと言われていますが、盛んになったのは江戸時代になってから。

江戸時代になると、入浴は宗教的な目的ではなく、商売として成り立つようになりました。 江戸は木造建築が多く、火災を防ぐために庶民は自分の家に風呂を持つことができませんでした。また、自宅に風呂を持つような金銭的な余裕もありませんでした。当時、自分の家に風呂を持っているのは身分の高い人だけで、次第に商人たちも自宅に風呂を設けるようになりました。

当時、風呂に入りたい多くの庶民は銭湯に行くしかなく、結果として銭湯が近隣住民の交流の場となりました。 現在、東京は日本で最も銭湯の数が多い都道府県であり、東京23区のなかで銭湯の数が一番多いのは大田区です。

銭湯にも混浴がある?

江戸時代には、男女兼用の銭湯が存在しました。混浴の銭湯は、江戸よりも京都の方が多かったと言われています。 しかし、一部の銭湯は風俗営業の温床になっていたことから、江戸幕府は混浴を禁止しました。

銭湯と富士山

銭湯といえば、浴室の大きな富士山のペンキ絵を思い浮かべる人が多いと思います。この富士山のペンキ絵は、大正時代に東京神田の銭湯「キカイ湯」が始めて、関東で大流行しました。

また、人気の高い富士山のペンキ絵は、広告代理店にとっても良い商売となりました。 家庭風呂が普及しなかった時代、銭湯は人が集まる場所であったため、広告主が無料のペンキ絵で広告を出す権利を交渉し、ペンキ絵下の広告部分が商品となり、銭湯のペンキ絵の専門絵師もたくさん育成されました。

ケロリン桶と牛乳

ペンキ絵だけでなく、桶も広告に使われました。 現在、シンボルとなっている黄色い桶「ケロリン桶」は、実は富山県の製薬会社が鎮痛剤「ケロリン」の普及のために作ったもので、その強度と耐久性から「永久桶」と呼ばれ、全国的に普及しました。

もう一つ銭湯で儲かる業者は牛乳屋さんです。 昭和時代、牛乳は栄養補助食品として普及しましたが、家庭で冷蔵保存できないことが大きな欠点でした。そこで、牛乳業界は当時数少ない冷蔵庫を持ってる銭湯にアプローチしました。これによって、牛乳はお風呂上がりの定番になったのです。

銭湯で守るべきマナー

銭湯は共同浴場なので、それなりのマナーがあります。

  • お風呂に入る前に必ず体を洗ってください。
  • タオルを浴槽に浸けることはできません。
  • 滑りやすい床を走らない。
  • 洗濯、髪染めは禁止です。
  • 使い終わったら、桶と椅子を元の場所に戻してください。
  • 脱衣所に入る前に、体を乾かしておく。

タトゥーがある人は銭湯に入れますか?

答えはイエスですが、すべての銭湯ではありません。

刺青をした人は温泉に入れないというイメージが強いと思いますが、実は日本には刺青を禁止する法律はありません。ただ刺青がある人は暴力団関係者が多いという過去の印象が現在でも残っています。

温泉旅館に比べて、銭湯の方がタトゥーOKの場合が多いのですが、それでも禁止しているところはあります。スーパー銭湯は完全に禁止されていますが、店によってはタトゥーを隠せる肌色の小さいボディシールを提供する施設があります。インターネットで関連情報を調べられるので、銭湯に行く前に確認するのがおすすめです。

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