【日本の名城シリーズ】長野県「上田城」:最強の武将・真田幸村と真田家の舞台

「日本一の兵」と称される戦国武将、真田信繁(真田幸村)。2016年、日本の公共放送・NHKで真田信繁の人生を描いた大河ドラマ『真田丸』が放映された後、舞台となった長野県「上田城」の知名度は一気にあがりました。当記事では、真田家にとって重要なこの城についてご紹介します。

真田家を代表する人物、真田昌幸と真田幸村(信繁)

上田城をご紹介する前に、まずはこの城を築いた一族、真田家について知らなければなりません。

真田家は信濃国(現・長野県)の武家です。その家祖である真田幸隆が甲斐国(現・山梨県)武田信玄に仕えていたものの、しばらくすると武田家は勢力が弱まり、滅亡の道を歩みます。武田家滅亡後、真田昌幸はわずか半年の間に織田信長、北条氏直、徳川家康など強い権力をもつ勢力へと次々と君主を変えています。

そして、その真田家で最も有名なのが、真田昌幸の次男・「日本一の兵」と誉れ高い真田信繁(幸村*1)です。信繁は、現在、真田幸村の名前の方が有名で、「好きな戦国武将ランキング」でも上位に入っているほどの人気な武将です。

彼の生涯最後の戦「大坂夏の陣」(1615年)では2,000の兵を率いて7,000の兵の徳川軍と戦い、徳川家康を切腹の際まで追い詰めます。しかし、残念なことに最終的には戦局が翻り、真田信繁は壮絶な最後を迎えます。この戦での武勇伝は駆けつけられなかった薩摩藩当主・島津忠恒の耳にまで届き、島津忠恒によって「日本一の兵(つわもの)」と称されたと伝わっています。

*1:真田信繁は現存する史料の中では「信繁」の名で署名されており、存命中に「幸村」の名を使ったものは見つかっていません。

この物語は日本人に深く愛され、数多くのアニメや漫画・ゲーム・小説や舞台劇の題材になっています。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では、真田昌幸、真田信繁とその兄真田信之(真田信幸)3人が真田旋風を巻き起こしました。長野県上田市には、真田家の家紋「六文銭」と真田幸村の象徴である赤の甲冑をモチーフにしたお土産、旅行パンフレットで溢れています。

徳川家康を2敗させた長野県「上田城」

上田城は真田昌幸が1583年に徳川家康の命を受け建造しました。上田盆地の中央、千曲川支流の尼ケ淵に建てたことから、当初は「尼ケ淵城」と呼ばれていました。上田城は南を千曲川、北と西側は矢出沢川が堀になっており、敵が上田城を攻めるなら、唯一東の湿原から進んでこなければなりません。この城の築城を命じた徳川家康も守りやすく攻めにくい地形の上田城を相手に、二度の敗北を喫しています。

それにしても、なぜ徳川家康が自分で築城を命じた城を攻撃したのでしょうか?真田昌幸が武田家滅亡後、北条家に仕えた後にすぐ徳川家に乗り換えるなど、権力のあるところに風見鶏のように従っていたからです。

上田城はもともと真田家が徳川傘下だった時、上杉景勝に進軍するために建てた城でした。のちに徳川家康が上田城を北条氏直に譲るように命じましたが真田昌幸は拒否。これが第一次上田合戦(1585年)と第二次上田合戦(1600年)を引き起こします。この二度の戦で徳川は敗北したのでした。

このように二戦二勝の実戦経歴をもつ城は日本全国に上田城だけです。名実ともに難攻不落の城。真田信繁のファンの聖地巡礼の地の一つというだけでなく、日本のお城ファンも上田城を高い評価をしています。そして、様々なお城関連のランキングで、上田城の名は常に上位にランクインしています。

上田城は3つの武家に治められてきました。真田家は3家の中でももっとも治めた期間が短く、わずか40年しかありません。しかし、真田家の物語があまりに波乱万丈のため、その後の仙石家と松平家の影は薄くなってしまいました。1871年廃藩置県があり、上田城は1874年に正式に廃城となりました。

復活した上田城、売られて買い戻された櫓

廃城の際、上田城の7つの櫓のうち、2つは買われて人手に渡り、1つ(現在の西の櫓)だけが残り、その他は解体されてしまいました。上田市民の懇求の甲斐あって、当時の市議や区長が「上田城阯保存会」を組織し、売られた南櫓と北櫓を買い戻すことによって、1949年に上田城内の復元が完成しました。さらに上田城が元の姿で息を吹き返せるようにと、2018年匿名の市民から10億円の寄付が寄せられました。いつか残り4つの櫓が復元され、完全に復活した上田城が見られる日が来るかもしれません。

現在の上田城は国史跡であり、日本100名城の一つでもあります。城跡公園として春の桜、秋の紅葉のイベントが開催され、その景色はどれも見事ですが、赤い紅葉の風情は真田の甲冑の赤を彷彿とさせ一番お似合いかもしれません。

「上田市立博物館」と「真田神社」に行って真田家をより深く知ろう

上田城の過去の本丸の位置には現在、真田神社が建ち、真田家、仙石家、松平家の歴代城主が祀られています。神社で販売されているグッズには真田家家紋「六文銭」モチーフのものがたくさんあります。また、城趾公園内の「上田市立博物館」には数多くの真田家関連の資料が展示され、「信州上田おもてなし武将隊・真田幸村と十勇士」も不定期で上田城内に現れます。もし武将たちに遭遇できたら、恥ずかしがらずに挨拶をしてくださいね。あなたのために、この名城を紹介してくれますよ!

上田城・上田城趾公園

  • 住所:長野県上田市二の丸6263番地イ
  • 営業時間:随時自由参観可能
  • アクセス:JR上田駅から徒歩約12分

上田市立博物館

  • 住所:長野県上田市二の丸3-3
  • 営業時間:09:00~17:00(最終入館16:30)
  • 入館料:一般300円、学生200円、小・中学生100円
  • 休館日:毎週水曜日、年末年始12月29日〜1月3日、祝日の翌日(祝日が水曜日にあたるときはその翌日)
  • アクセス:JR上田駅徒歩約12分

※上田城櫓は別途300円入場料がかかりますが、「上田市立博物館・上田城櫓セット券」(500円)を購入することも可能です。上田城櫓は冬期11月中旬〜翌3月(一部期日を除く)は休館です。休館日については公式サイトをご覧ください。

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