【日本の名城シリーズ】難攻不落のスーパー山城!奈良「高取城」

古都・奈良といえば、鹿や壮麗な大仏のイメージがありますが、日本の城好きにとっては、絶対に訪れたい山城の城跡がある県です。それは、難攻不落の険しい地形から「日本最強の城」と呼ばれている「高取城」です。

天然の険要な地形、日本最強の城

「山城」とは、山の自然の地形を利用し、その地形と高さに沿って造られた城を言います。高さがあり、敵の移動を困難にさせ、高台から遠くまで見渡せるので周囲の動きを素早くつかむことができ、守りに固く攻めに強いタイプの城です。

岐阜県「岩村城」、岡山県「備中松山城」、奈良県「高取城」の日本三大山城の中でも、高取城の規模は群を抜いて大きく、最も高度のある本丸と山麓の高低差は390メートルに達し、日本の城の中で最大の高低差があります。城内の周囲は約30km、そして33棟の門、27基の櫓、3層の高い天守閣を有しています。こんな大きな城が標高583メートルの山頂に建っているのですからまさに規格外!敵も攻め込む前に心が冷め始め、実際に城に攻め込んでもなかなか攻め落とせずに絶望するのは当然でしょう。さすが「日本一の山城」と言われるだけあります。

徐々に進化する城

しかし、高取城は最初から無敵だったわけではありません。この城は当初、「貝吹山城」という城の支城として1332年に築城されました。1580年に一度廃城されましたが、1584年に戦略上の重要性が再認識されて再建、1589年に大規模改修が行われて、天守閣や櫓などが増築され、防御力が引き上げられ、日本最強の山城となりました。

最強の様相を呈する高取城は、1600年の関ヶ原の戦い、1863年の天誅組の変(幕末、脱藩藩士による倒幕武装蜂起)でもその難攻不落ぶりで、高取藩の勝利に貢献しました。特に天誅組の変ではわずか2人が軽傷を負うだけで済むなど、高取城の地形的優位性の高さを改めて証明しました。

戦国三英傑と高取城

さらに注目なのは、織田信長をはじめとする戦国三英傑と高取城との縁。

1580年に高取城の廃城を決めたのが織田信長だったため、織田信長とは悪縁でした。また、豊臣秀吉で有名な豊臣家は、高取城を整備・拡充しました。1585年に豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が高取城を領有、重臣・本多利久を城主に据えました。本多利久は1589年に大改修を行いました。1640年、高取城の統治者が徳川家の忠勤・植村一族に交代すると、高取城が正式な廃城となる明治維新までの228年間、高取城を管理しました。この城の最後の時代は徳川氏の勢力下で過ぎていったのです。

山林を残した壮大な石垣

現在の高取城跡には建物は一つも残っていません。建物の多くは放置され、自然と山林に帰ってゆきました。かつて城内にあった2つの城門は、現在寺の山門と児童公園の入り口に移築されており、その他に現存するのは巨大な石垣のみです。

現在の高取城は遺構のみで、完全な城を残していませんが、最盛期がいかに強大であったかを知るのには十分です。その驚くべき姿は、今は夢まぼろしとなりましたが想像に難くありません。

高取城はその貴重さから、国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。山間に位置し、四季折々に織りなす美しい景観を観ようと、お城ファンだけでなく、多くの観光客も訪れます。

しかし、高取城は本当に山頂にあるので、訪問する時は山歩きに適した服装をおすすめします。とくに歩きやすい靴はお忘れなく。安全な足元でこそ、高取城跡の美しさと厳しさを十分に楽しめます。

観光地情報

  • •名称:高取城
  • •住所:奈良県高市郡高取町高取
  • •利用時間:いつでも自由に見学可能
  • •アクセス:近鉄吉野線「壺阪山」駅より奈良交通バス「壺阪寺行」乗車、「壺阪寺前」下車徒歩約1時間

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