【日本の名城シリーズ】 「福岡」の由来!天才軍師「黒田官兵衛」が建てた最後の城「福岡城」

【日本の名城シリーズ】 「福岡」の由来!天才軍師「黒田官兵衛」が建てた最後の城「福岡城」
写真提供:福岡市

全国的に有名な博多の祇園山笠まつり、種類豊富なグルメ、地元感あふれる屋台、そして市街地から空港へのアクセスも良いため、近年、福岡は日本の中でも人気の観光エリアとなっています。

また、福岡は天才軍師「黒田官兵衛」に縁深く、彼が築いた最後の城「福岡城」があることから、多くの日本史ファンにとって注目の場所でもありました。

伝説の天才軍師「黒田官兵衛」

日本の侍や戦国時代についてどのくらい知っていますか?日本史に少しでも触れたことのあるのなら、彼の名前を聞いたことがあるかもしれません。
黒田官兵衛は、本名を「黒田孝高」といい、非常に有名な
キリシタン大名です(洗礼名:ドン・シメオン)。戦国三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えて一生を送り、数々の輝かしい戦功を立てました。軍師として各地で領土争いが巻き起こった戦国の乱世を終わりまで見届けた黒田官兵衛は、最後は政事には関わらず静かな隠居生活を送りました。彼の波乱万丈の人生は、2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』としても放送されました。

※キリスト教に改宗した大名のこと

伝説の天才軍師「黒田官兵衛」
写真提供:福岡市

黒田官兵衛は、武士として有名なだけでなく、城づくりの名人として有名で、三大築城名人」の一人としても後世に語り継がれています。

「三大築城名人」とは、戦国時代を代表する城づくりの名人のことで、藤堂高虎、加藤清正、黒田官兵衛の3人のことを指します。彼らは各自様々な名城を建てましたが、黒田官兵衛が最後に築いた福岡城は、加藤清正にも絶賛されました。

黒田父子の傑作「福岡城」

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こり、最終的には徳川家康率いる東軍が勝利しました。東軍に属していた黒田官兵衛とその子・黒田長政が九州を制圧すると、徳川家康から高い評価を受け、家康は筑前国の領地(現:福岡県)を黒田父子に与えました。

黒田父子の傑作「福岡城」
写真提供:福岡市

慶長6年(1601年)、黒田父子は城づくりに着手、7年を費やし、約24万坪の広大な平山城を完成させました。築城の地はもともと「福崎」と呼ばれる丘陵でしたが、後に黒田父子は祖先の住む「備前国」 (現:岡山県)の地「福岡」の名前にちなみ「福岡城」と名付けました。博多湾から眺める城とお堀はまるで鶴が翼を広げたような形をしているため、別名「舞鶴城」という美しい名前がつけられました。

写真提供:福岡市

福岡城は、構造的に戦略的に考えて築かれた城です。総延長3kmを超え、高さが10mを超えるところもある石垣、10を超える城門と47もの櫓があり、大きさの異なる3つの天守台も作られました。緻密な造りが攻め込みにくい城にしており、難攻不落と呼ばれる熊本城を築いた加藤清正も感嘆し、「自分が建てた城は3〜4日で攻め落とされるが、福岡城は30〜40日かかっても攻め落とせない」と言ったほどです。黒田官兵衛の築城への考慮の深さが伺えます。

謎多き天守

福岡城には3つの天守台がありますが、なぜか天守閣はなく、専門家やお城好きが何度も研究し議論されてきた謎でした。

謎多き天守
写真提供:福岡市

天守台とは、天守閣の台座のことをさします。当初の研究では、福岡城に天守閣は存在しないと言われていました。1646年に描かれた現存する最古の福岡城絵図「福博惣絵図」には、天守閣は描かれていません。しかし、近年新たに発見された文献、1620年の書状に黒田長政が幕府の警戒を心配して天守閣を取り壊したとの記載があることから、福岡城にはその昔、確実に天守閣があったと推定されています。しかし、実際の遺構や出土品などの証拠はなく、「福岡城天守閣」が存在したかどうかについては、いまだ正確には明らかになっていません。

花盛りの記憶

花盛りの記憶
(完全な形で残っている貴重な多聞櫓 写真提供:福岡市

明治時代(1868~1912年)に廃城令が出され、福岡城は他の城と同様に取り壊されましたが、一部は黒田家の別邸や寺院などへ移築されています。現在見られる福岡城跡は当時の石垣と敷地を保っているものの、建築物は、幸運にも残っている多聞櫓、潮見櫓など以外、数えるほどしか残っていません。

花盛りの記憶
写真提供:福岡市

福岡城跡は現在、国の史跡に指定され、「日本100名城」に認定されるとともに、舞鶴公園として整備され、隣接する大濠公園と共に地元住民の憩いの場となっています。春は桜色、秋には赤や黄に色づき、季節ごとに人気の行楽スポットです。

観光地情報

  • 名称:福岡城
  • 住所:福岡県福岡市中央区城内
  • アクセス:福岡市営地下鉄「赤坂駅」 2番出口より徒歩約10分
  • 営業時間:24時間
  • チケット:無料(イベント期間を除く)

福岡の地名の由来

福岡を訪れたことのある人なら、この街が「福岡」なのか「博多」なのか、疑問に思ったことがあるでしょう。

先に述べたように、黒田父子が城を「福岡城」と名付けたため、その城下町一帯は福岡と呼ばれました。しかし、福岡城ができるずっと前から博多湾で栄えた港湾都市・博多があり、商人の街・博多と武家の町・福岡の2都市は那珂川を挟んで東西に分かれていました。

明治22 年(1889年)、新しい地方自治制度が公布され、市名を決める際、福岡とするか博多とするかで論争となりましたが、最終的に、都市名を福岡、市中心の駅名を博多とすることで合意に至りました。

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